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1994年 秋、渡豪。(当面の生活費として20万円ほど持参)
まづはオーストラリアの大都市、シドニーへ。 はじめの数週間は、街に慣れるためにひたすら歩きまわる。 そしてヒマ潰しにスキューバダイビングのライセンスを取得。 これは、一週間ほど学科やら海での講習やらを受けると誰でも取れる。 ライセンスを取ってはみたものの、出費が・・・。働かないと。 すんなりと働き口を見つける。場所は砂漠の真ん中にあるエアーズロック・リゾート。 エアーズロックに来る観光客を相手にするための小さな村。 そこに住むのは、ツアー会社の従業員、ホテルの従業員、一件づつあるスーパーとガソリンスタンドの店員。・・・それだけ。 昼間の気温は40度前後。灼熱の太陽と赤い砂。 僕の仕事は日本人観光客を相手にするツアーガイド。 時給は高く、家賃は安い。 しかし若すぎた僕にとって、この仕事は退屈でしかたなかった。 1ヶ月ほどで辞める。(真実はというと、僕が寝坊したのが原因) クビではなく、あくまで自分から辞めたんだよ(笑) その後も図々しく、会社が借りてくれたアパートを1週間ほど使用。 友達が車を持っていたので毎日エアーズロックへ出かける。 仕事とは違うので、毎日が楽しく充実していた。 バックパッカーズに行けば誰かしらいて、話し相手には事欠かない。 あんまり長居すると脳ミソがとろけそうなので、移動することに。 移動はすべてバスで行ったんだけど、この時が一番キツかった。 車中2泊3日、58時間! 車窓に映る風景といえば広大なナラボーン平原のみ。 草木も大して生えない砂漠。車中は乗客の体臭が充満・・・。(僕もいっぱい出してやった) 僕はウォークマンで繰り返し浜田省吾の「J・BOY」を聴いていた。 友達の母親が住む街、パースへ到着。居候させてもらう。 彼女はどこかの役所で働いていたので、昼間は僕と犬のケルシーだけ。 テレビを見たり散歩をしたり。街並は整然としていてキレイ。 海に面しているため、魚介類が豊富でうまい。 しかし大人びた街なので、若い僕には刺激がなさすぎた。 しばらくして、フルーツピッキングの仕事をしようと思い、アグリカルチャー・デパートメントに働き口の情報を求めたが、どの作物も収穫期ではないらしい。 ジャパニーズ・レストランか免税店か・・・。やめた、移動しよう。 とりあえずエクスマウスへ行ってダイビングをしよう。 とことんひなびたこの村は、ジンベイザメに出会える確率が非常に高いことで知られ、ダイバーたちには人気のスポットだ。 僕が行ったときは時期的なものもあって出会えなかったけれど。 泊まっていたバックパッカーズの近くの原っぱにエミューが何羽かいたので、からかってやろうと思い近づくと、逆に追いかけられるハメに。これはまじで恐かった。 つづく・・・。
by marcy3030
| 2005-04-19 12:22
| 旅
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